振り返ってみると(2017/04/21)
今朝は、 うっすら薄曇りの長崎地方です。
昨日は、 寒くて1回着替えました。
毎日 何を着ていこうか?と悩みながら、 朝を過ごしています。
気温変化も激しく、 天気も変わりやすいですね~
じぃじが亡くなって、 あちらに逝ってしまった れンちゃん、 あいちゃんと 合わせて 「命」の尊さを 思っています。
じぃじは、 進行性の肺の病気を抱えていました。
1月3日に入院した時は、 心臓の左側に負担がかかって、 胸水がたまっていました。
利尿剤を使って、 うまいこと 胸水を抜くことができました。
「れンちゃんの時とおんなじ やね~」

その時、 一旦退院できましたが、 その後 また苦しさを訴えて、 救急車で再入院しました。
その時、 心臓の右側 - 肺動脈から心臓につながっている部分に 進行性の病気、 肺高血圧を併発していることがわかりました。 この時 余命 数か月と宣告を受けました。
1月下旬でしたが、 万が一の時の 延命処置をするかしないか?の選択まで 家族には聞かれました。
いつもの じぃじと 大きな違いはなかったので、 にわかには その話の趣旨を受け入れることができませんでした。
進行性の肺の疾患に加えて 進行性の心臓の病気まで併発したことは、 じぃじには言えませんでした。
ドクターにも 伝えないように お願いしました。
ただでさえ 進行性の肺の病気をかかえているところに これ以上のダメージは もういらない!と 思いました。
最期まで 心臓の病気は伝えませんでした。
「マンマは そう思ったっとったかもしれんけど、 じぃじは わかっとったばい!」

そうね? きっと いろいろなことを察知していたでしょうね。
亡くなる5日ほど前は、 「もうできん。」と言っていました。
病状を伝えた方がよかったのか?否か? 未だに 迷うところはあります。
じぃじの 人に気づかいする細やかな性格を考えると 直視するには厳しい現実だったと 今でも思ってはいます。
自分の時は、 どうだろう?と思います。
あらがえない運命に立ち向かう時の 精神力とは、 人それぞれの受け止め方があると思います。
生きている間に 自分の死に際して考えることなんて まずは ないと思います。
余命宣告とは、 なかなか受け止めることが難しいものだと つくづく思います。
さかのぼってみると あの時 こうしておけば・・・ この時 もっと こうできたのでは? と 今振り返って思っています。